はじめまして^^
紬(つむぎ)と申します
ちょっと今日は濃いめに自己紹介を載せたいと思います。
私は大阪在住の40代で、夫と、小学2年生と幼稚園の息子が2人います。
子供たちが1歳と3歳の時にブログをはじめましたが、当時は育児で途方に暮れ記事を書くどころか、子供たちに振り回されて「早く今日が終わってほしい」と毎日願うくらいヘトヘトでした。
大癇癪祭りで常に泣かれて、そり返る子供を片手に抱っこして、もう1人は大泣きで、足元にくっついてくる・・・。そんな中でミルクを作るとなったら、片手でミルク缶を傾けることもできないくらいの余裕のなさ。
こんな戦場のような環境でミルク缶を傾けなくてもミルクがつくれるようにして!って文句を言ったこともあります(すみません)
そしてパソコンをあけようとすると、子供たちに突撃されて、キーボードの上をトミカのミニカーが走り抜け、ワードプレスがエラーの悲劇に!復旧に何日もかかっちゃうとかもザラでした。
そんな中なので、記事はすぐにライターさんにお願いすることにしました。こうすることで「今日も記事を書けなかった」という罪悪感はなくなりましたし、外注さんとやりとりをすることで、家族以外の人とお話しできるのも嬉しかったです。
だけど外注化をしたものの、挫折もたくさんありました。やりとりをするだけなのに、その時間もないとか、思った記事が上がってこないことも・・・
だけど今では、自分で記事を書かずに遊んでいる間にもブログの報酬を得ることができるようになりました。
と、ここで
さらにもっと私の過去のお話しをさせていただきますと、
会社員時代は、朝8時半出社で仕事が終わるのは0時を回るのが普通でした。奴隷のような働き方ですが、お仕事を任されることが何より嬉しくてしんどいと思ったことはありませんでした。
0時を回ってすぐ帰るかというと、そうでもなく、時には同僚と晩御飯を食べることもありました。なので就寝が4時になることもありましたが毎日が楽しかったです。
残業になる原因のひとつにお客さんと電話をするときに、世間話をして話を聞いてあげていたからというのもあります。だから「折り返しの電話が常にたまってく」という状況になってしまうので自分の首を自分でしめてしまってたんです><
だけど、4年半がたったころ、ある日、右顔面神経麻痺になり、目をとじることができなくなりました。私としてはお仕事を続けたかったですが、上司に休めと言われたのでお休みをすることにしました。
そこから3ヶ月・・・もっと悪化してしまったこともありましたが、なんとか復帰の目処がたち、ようやく仕事に戻りました。
ですが、そこに私のお仕事はありませんでした。
「やりがい」だったお仕事は、すべて誰かが変わってくれていたのです。あたり前ですが、代わりはいくらでもいるという絶望感で翌日退職届を出しました。
昭和生まれだからというかなんというか・・・昔は「ひとつの会社を定年するまで続ける」のが当たり前という固定概念がありました。だから簡単に辞めたくなかったです。
それと私の父が、私が小さい頃から仕事をすぐに辞めてきて全く続かない人でしたので、父のように簡単に諦めたくないと思っていました。
(ちなみに、私が高校生のときに、阪神大震災がおき、父は家族を捨てました。私は高校を卒業後にすぐに仕事をすることになりましたが、残った私たち(再生不良性貧血という難病もちの母、中学生の妹、小学生の妹)とどれだけ苦労したか・・・
女性だけだからとか、まともな貯蓄も収入源もないという理由で貸してもらえる家もなかなかなく不動産屋さんからは門前払い。本当に悔しい思いをしたのです。※決して不幸自慢みたいなのではありませんし、不幸と思ってないです)
で、話は戻りますが、
会社を退職したあと、それから1年は笑うことを諦めました。笑ったところで、顔が歪んでいるので笑ってるかどうかもわかりません。リハビリのためにひたすら「風船を膨らませる」練習をしていました。
そして気づきました。会社の看板がなくなればただの「人」です。個人スキルも別になく私が武器として手にしたものは、会社がなくなれば何も残らなかったのです。
そして、
ここから1年がたち、「働きたい」という気持ちよりかは「働かなければならない」という気持ちになりました。どんな仕事がいいか、このときは本当に不安で不安で、1年休んでからの社会復帰はかなり勇気のいることでした。
営業事務の経験のみでしたので、次も営業事務として派遣に登録しました。派遣先の会社は大手の会社でしたので定時退社が当たり前でした。だから体は楽でした。
ですが、大手が故に高学歴の人たちに囲まれ、劣等感がつきまといました。20代後半からは心とバランスが崩れてしまい5年ほど心療内科でお世話になりました。
で、
派遣先の1つの会社に12年もお世話になりまして、同じ課の人たちとも、ジャニーズのコンサートで東京・広島・福井・沖縄へ行ったり、みんなでスノボに行ったり、ディズニーランドに行ったりして楽しかったです。
当時はアメーバブログが流行っていて、5人くらいで、「ピグ」というアバターで帰宅後に「今日課長が〜」みたいな話をしてました。愚痴れる人が会社にいて良かったです。
リーマンショックのときは、「お仕事があるだけマシ」とか言ってましたね。
だけどここでも最後は派遣切りにあってしまいました。
この時35歳になったのですが、夫と結婚しすぐに子供ができたのでしばらく専業主婦になりました。
もともとは、2人のお給料だったので余裕だった家計も、夫だけとなり、また夫も残業が減ったことでお給料が減ってしまいました。貯蓄を切り崩しながらの生活でしたので、「このままではいけない」と追い込まれた結果、「在宅で稼ぐ方法」をみつけブログと出会いました。
今ではブログのサポートをすることがやりがいとなり、ビジネスコミュニティなどに参加してどんどん勉強したり、お誘いいただいてぱっと東京行ったりするのがめちゃくちゃ楽しいです。
こんな年でも経験を積むのが楽しいです。ブログをはじめた自分を褒めたいと思います。いつからでも挑戦できますし、正直、やるかやらないかだけの話です。
私の好きな曲です↓↓