この記事は7月7日に音声配信した内容となっております。
今日は「紬の自己紹介!心が崩壊した過去!」というタイトルでお伝えしようと思います。
紬の自己紹介!心が崩壊した過去!
こんにちは。紬です。
私は、大阪生まれで現在40代でふたりの息子(小学2年生と年長)がいるママです。
私の幼少時代をお話しさせていただきますと母親は難病を抱え専業主婦でした。
父親は、会社員でしたが、割とすぐ仕事をやめてくることが多くて全然続かなかったです。
仕事というよりかは、人間関係を構築するのが難しいみたいですぐ喧嘩してやめてきていました。
最短で2日でやめたこともありますし、半年働いていないこともありました。
私はそんな父をみて、会社というのは嫌だからってやめるところではないし、特に男の人は定年まで働かないと思ってたんです。
だから私が高校を卒業して働きはじめたときは営業ジムの仕事をしてて、ずっと定年まで働き続けてお局になってやる!って思ってたんですね
朝8時半から夜0時ころまで働くこともあったりしたけど、若かったしすっごい楽しかったんです。
だんだん慣れてきたら任せてもらえるし私がいないと回らないってなるしめちゃくちゃやりがいを持って仕事をしていました。
私の存在意義をそこで確認してたと思うんですけど、
それがある日4年半後に病気になって・・・顔面神経麻痺になってしまって「一生治らないかもしれない」って言われたときはショックが大きかったです。
だけど私は仕事は続けられると思ってたんです。急になったから急に治るんじゃないかって。
どうやっても目をとじたりもできないし、うまく喋ることもできない。
顔の筋肉も垂れてくるし、眉毛とかめちゃ下がってきて、外見よりも心が死んでいきました。
テレビを見ててもなんにもおもしろくないし、そもそも笑ったところで笑顔にならない
「もう笑わへんわ」って思いながら毎日リハビリと点滴はしないといけないから、夏の暑い中、毎日病院に通って・・・
そしたら、ついに3ケ月くらいに、病院からOKが出たんですね
それで復帰したんですけど、そこには自分の場所はもうなくって・・・
というのも、私の仕事はみんなで分担してくれてたんですね。そもそも自信もほぼ無くなった状態で出勤したから完全に心が折れてしまってその日に退職しました。
そのときに、母が長い人生の中で1年や2年休んでもいいんちゃう?って言ってくれたから頑張れました。
そこから1年たったとき、顔もかなりマシになってきて働きたくなったんです。
だけど、やっぱり社会が怖くなってしまって、自信もないし、不安ばっかりだったんです。
でもこのまま働かなければ父親と一緒になってしまうのもいやで・・・
それでどうしたかと言いますと、「派遣」にしようと思ったんです。
いやになったら更新しなかったらいいと思いまして。
だけど登録して最初に紹介していただいた会社が大手メーカーだったから、有給とるのはあたりまえだし、心がしんどかったら休み休みって言ってもらえるし、基本は定時上がりだったから居心地良すぎたんですよね
入ったのが23才のときでしたけど35才まで勤めました。その間うつ病とかにもなりましたけど辞めるという選択肢がなくて結局16年半営業事務をしてました。
そして話が戻りますが、私が高校のときに阪神大震災があって、家だけじゃなくて家族も崩壊したんですよね。
ま・・・父親がでていっただけですけど
でもうちは母と私と妹中学生と小学生で、家を借りるところがなくて、父親も全然働いていなかったから、貯蓄はもちろんないですし、不動産屋にも相手にしてもらえなかったです。
男の子がいたらとかも言われたこともありました。(そんなん知らんがな)
結局、お金があったら家が崩壊することもなかったし、出ていった父も人間関係で疲れない方法とかあったんちゃうかなって今なら思います。
お金で少しの余裕が得られるのは事実だと思います。
今は自宅でブログを書くお仕事をするようになり良かったなと思いました。
今日は自己紹介をさせていただきました。私のツイッターやメルマガでも情報を発信していますのでよかったらフォローの方もよろしくお願いします!では!最後まで聞いてくださりありがとうございました